こんにちは、夕張市議会議員 今川和哉です。
最近の政治について思ったことを書こうかなと思います。
定例議会がない月には一般の政治記事か夕張市の日常記事を書くことを目標にします。
【政治的発言】
少し前から、政治家ではない有名人や一般の方の「政治的発言」がどうのという話題があがっていました。
「知らないことは発言するなとか、芸能人は政治の話をするな」等は当然ありません。知識の有無に限らずどんどん政治の話をしてよいと思います。
なにせこの国で国民は「主権者」なわけですから、時代が違えば王様です。政治のことを話すのは当然です。大臣(議員)たちに任せるのではなく主権者(国王)が発言することは当然のことです。
(そもそも知識がなければ政治的発言ができないのであれば、相当の議員が政治の話ができなくなりますよ。)
ただ一方で、有名人の政治的発言について
発言の影響力はその人の知識経験ではなく「知名度に依存する」ことを発信者側も聞き手側も意識する必要があるでしょう。
有名人のほとんどは政治知識の有無で有名になったわけではないでしょうが、その発言力はどんなに知識のある学者や政治家より高いものです。
本人の発言は自由ですが、知識がないから悪影響を与えた場合でも許されるというものでも、批判がなされないわけでもありません。
発信も自由であれば、当然他の方が批判することも自由です。影響力に伴って批判も大きく受けるということが大前提です。政治に詳しくなければ発言できないわけではなく自由であることの裏返しとして、政治家でなければ発言が批判されないということでもありません。
知識が不十分な発言の影響力が大きければ、それに悪影響を受けた形で政策が形成され国民が不利益を受けることもあり得る話です。当然、それを阻止するための批判は権利です。
表現の自由は発信することが制限されない自由であり、批判を受けることも自由のひとつなのです。
そのうえで、主権者たる意思をもって知識を得ながら、有名人、アーティスト、政治家、若者…問わずどんどん政治的発言をしていってほしいですね。
余談ですが悲しいことに、地方議員も政治的発言をしないで会合の参加や地元の毒にも薬にもならぬ話だけをしていたほうが支持が得られがちという矛盾があります(政治家なのに…)
【日本の民主主義をアップデートしたい】
政治の憂慮している点として、「センセーショナルな見出しやわかりやすいタイトルのものばかりが広まりやすい」ことがあります。
ニュースには書き手の意図があります。大げさなタイトルで目を惹き、都合の良いことを書くものです。
政治に正解はありません。実際の政治には費用対効果やメリットとデメリットを地味に突き詰めていく作業が多いでしょう。
しかし、そんなことを調べるのは大抵とてもめんどくさいもので、「あいつは悪だ!」「政治家の利権だ」「私利私欲で損害を与えようとしている」「〇〇は売国奴だ!」「無駄な事業だ!」「政権に賛成か反対か!」というような、わかりやすい対立構造、圧倒的な善悪(があるという幻想)が受け入れられやすいのが現状です。
政治を知ることはニュースをうのみにすることでも、どこかの論客の論調をコピーすることでもありません。
自分の思う考えに反論できるまで両意見を知り、その結果さらにどう考えるかが重要だと思っています。暴走する正義が一番危うく、対立意見も大体は正しいものです。
政治に詳しくない人が「このニュースを見ればわかりますよ」「この人の動画を見ればすぐ理解できます」というように、今の時代簡単に知ったつもりになってしまうことは非常に危険だと感じます。たいていの物事は簡単に知れるものではありません。ニュースは意見を誘導する意図がありますし、動画は視聴率を追求するため、製作者は視聴者の求めている情報にかたよりがちです。
この「わかりやすいタイトルのニュース記事」を見てわかったような気になっている有権者が多いことや、特に知識教養があるわけでもないバラエティのコメンテーターや芸人の発言がトップニュースになり、市民に対する影響力が高いという今の現状では、しっかり働ける議員を選べるわけがありません。そもそもの有権者レベルの底上げが必要だろうとも思います。
【この状況でどう日本の政治と未来を変えていくことができるか】
もはや特定の誰が、(私が)国会議員になって変える!というレベルでは大きくは変えられないのではないか?と思います。
知名度が重視される政党選挙と、かわらない組織票、各個人の議員を入れ替えるだけでは選挙の性質は到底変えられるものではありません。
→政党を作りたいなと考えることもあります。今の既存の利権団体がバックについた既成政党では、個々の能力にかかわらず議員の活動が同じようなものになるしかないわけで、特定の誰かを入れ替えたところで、支持母体や政党幹部の意向を大きく外れるような変革ができないからです。
→根本的に、義務教育や高校・大学生の段階にて論理的思考やエビデンスを重視した政策決定について学ぶ必要性、有権者を「主権者の自覚ある有権者」として育てるところから始めなければならないのではないだろうか。
民主主義は非常に難しい制度です。この制度で良い政治を実現しようと思えば、能力の高い少人数ではなく有権者ひとりひとりが高い見識を持ち代表たる政治家を選ぶ必要があります。
独裁主義のデメリットを忌避しこの民主主義を選んでいる現代の国民は、その代償としてひとりひとりが主権者である自覚と相応の知識を得て政治家の活動を監視する義務がなければならないはずです。
【夕張市の特殊事情】
夕張市は全国の自治体の中で唯一、予算の変更に総務省の同意を要する地方自治体です。夕張市の予算は財政再生計画により決められているため、予算を変更し新たな事業を行うためには、
市議会による「財政再生計画の変更」
総務省による「財政再生計画の変更の同意」
市議会による「補正予算の議決」
というプロセスを経て、夕張市の新たな予算事業が執行されます。
表向きはこういった議決ですが、これ以外にも細かな協議が当然あります。庁内の担当課と財務課の調整や、担当課・財務課と総務省の実務者間の調整等、議会に出てくる前の予算のせめぎあいもあることでしょう。議会に予算があげられるものは、同意について総務省の内諾が取られた事業のみがあげられているものと考えられます。
補助事業の申請が絡む場合はさらに複雑なものとなり、議会や市長の判断でも、予算を他にすぐ振り替えられるという性質のものではありません。
そういった特殊事情を踏まえ、「市民にとって何が良いか」最善の判断をしていくことが議会に求められているものです。
現在、議長を通して協議の段階で可能な限り早めに申請予算の大枠や想定事業を議会に提示してもらえるよう求めているところです。
事業を初めて提示した委員会の次の週に、議会で賛成か反対か!?という取扱いは行政にとっても議会・市民にとってもどう考えても良くありません。
【エビデンスのない政策が多すぎないだろうか】
例えば、最近のレジ袋有料化の件がそうです。
元々は石油製品によるCO2の削減で出てきた議論だったはず、いつのまにか海洋プラスチックの問題にすり替わっていませんか?
しかしどちらもその影響についての根拠や科学的な数値、メリットデメリットの議論がなされないまま実施され、結果現場の店員に負担を押し付けているだけに見えます。
これを法律で義務付けするべきほどの根拠があまり見られません。雰囲気で政策がまかりとおっていいのだろうか?
香川県のゲーム条例もですが、感情論や思い込みが優先されており、最も重要であるはずの政治家の論理的思考が欠けているように思えてしまいます。